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個人投資家のつぶやき

株の学校ドットコムに出会ってから吾輩の投資に対する見え方が大きく変わった。この体験を通じて多くの個人投資家にこの学校の素晴らしさを伝えられれば幸いです。

株の学校ドットコムとの出会い

株の学校ドットコムは突然に

おそらく最初の出会いはリーマンショックではないかと思う。当時、全く株の素人だった吾輩は正直何が起こっているか全くわかっていなかった。ただ世間が騒いでいたので昔からやりたいが手を出せなかった株式投資の世界に足を踏み入れるきっかけになった。このときにはまだ大やけどを負うことになるなんて思っていなかった。

株の学校ドットコム メール講座に引き込まれる

株の学校ドットコムの行間

当時、なんとか上がる銘柄を簡単に教えてくれるサービスはないかと色々と調べ尽くしていた。無料の金融系メルマガはほぼ購読。マネー誌も買って、2ちゃんねるやヤフー掲示板などとにかく見て回った。よく当たるという投資助言会社の無料体験にも多く申し込んだ。そんな中の一つが株の学校ドットコムだったと思う。

毎日、数え切れないメールが届き銘柄名が飛び交っていた。銘柄推奨のチャートを見ながら検証をしていた。

そんな中、他のメルマガとは違う雰囲気を醸し出していたのが株の学校ドットコムだった。何が違うっていつまで経っても銘柄名がでてこない。しかも長い。行間が広い。

行間が広いのは比喩ではなく、本当に広いんだ。最初はスクロールに疲れたがいつの間にか長文を読み終わり一息つくのが心地よかった。つまり「読み応えがある文章」だった。そこには発見があり、学びがあった。

少しづつではあるが、こう思いだしていた。


株式投資って結構勉強しなきゃいけないのか と。

株の学校ドットコム 怠慢さを見抜かれる

株の学校ドットコムの指摘

人はそんなに変われない。仕事だって忙しい。そして別に専業トレーダーになろうとしているわけではない。そう、ちょっとした「隙間時間」で効率よく、稼ぎたいのだ。お金に働いてもらおうとしているんだ。

そんな都合のいい話が99%。たいがい似たような話ばかりだった。そして吾輩も全力でその99%の中で踊っていた一人であった。まさにいまそんなことを考えているあなた、そのまま生きて欲しい。いつか気がつくことになる。お金が働いてなんかくれないことに。

夢見がちな初心者投資家を一刀両断してくる、それが株の学校ドットコムのメッセージだ。楽して儲けたい、そんな幻想を抱いている奴は去れと。お前が一歩踏み入れた場所は戦場だ。無防備で竹槍すら持ってない・持つ気もない奴は生き残れない。強いメッセージだった。頼んでいないのに怒られているようだった。ただ、それが正しいということはなぜかわかっていた。

株の学校ドットコム 裏切り

株の学校ドットコムから浮気する

不倫は文化だ。わかってる。よくわかってる。
銘柄推奨は当たらない。結果としてストップ高だとしても買えない。出来高が少なかったり、タイミングがとれなかったり、様々だ。でも人間はアホだから自分でやってみないとわからない。そう、吾輩だって楽して儲けたい。だからやってみたんだ。もちろん買えなかった。上がらなかった。焦って取引した。負ける要素しかなかった。だってそうだろう。しかも最もよくないことは「反省できない」ことだ。不倫だって悔い改める人はいるかもしれない。だがこの銘柄推奨のたぐいは全く反省ができない。学びがない。再現性がない。この人がだめだったな。別の人にしよ。以上。それだけだ。一生勝てない。数回勝ったって、人生は長い。長期的に勝ち続けなければ意味がない。それが株式投資・資産運用だ。そんなことも当時の小生はわかってなかった。傷心し財布も軽くなり無料のツンデレのキツイ株の学校ドットコムに帰ってきた。元サヤかどうかもわからず、FX口座の開設もしてみる迷走ぶりだった。

株の学校ドットコム 人が理解できるためのもの

株の学校ドットコムはそれをチャートと呼ぶ

恥ずかしい話、銘柄推奨やいろいろなメルマガや雑誌を読み投資をしつづけた。数十万円がすぐに何度もなくなった。それをギャンブルだなんて思いもしなかった。チャートなんて見たことがなかった。二つ折りのNシリーズが最もイケてた携帯電話ではもちろんみることはできなかった。今は信じられないかもしれないが、外回りの営業がチャートなんて本当に見れないんだ。嘘みたいだろ。まず、チャートの重要性を知り、携帯でトレードという名のギャンブルを止めた。本当にギャンブルだった。日経225を買って、打ち合わせを1時間行い、ビルから出て携帯電話をパカっと開いて収支を見るのが大好きだった。丁半博打だった。吾輩はそれを「投資」「資産運用」といっていた。

株の学校ドットコム リーマンショックという名の祭り

株の学校ドットコムだけが冷静だった

営業をしながら公式なギャンブルを楽しんでいた。吾輩は本気で稼ごうと思って必死で考え、情報をあさり、銘柄を探していたが100%ギャンブルだった。不思議なものでやってる本人は微塵もギャンブルだなんて思っていない。パチンコやスロットをやっている人を見下していた。今思えば彼らのほうがよっぽど確率が高い勝負だったかもしれない。

そんなリーマンギャンブラーが金融ショック会の中でも燦然と輝くリーマンショックを目の当たりにした。

よく覚えている。当時、どれくらい凄いことが起こっているか全くわからなかったことを。

少なくともそんじょそこらの連中より相場は眺めていた。ただその深さや奥行きは素人には全く見えなかった。ただ、その急落っぷりとニュースの量によって辛うじてオオゴトであることだけは認識できていた。

日々状況が変わり、倒産し、株価は急落する。何か買ってみてもすぐに損失となる。ただ見ているだけしかできない。だが高揚感だけはずっと続いた。楽しかった。それは本当に祭りのようだった。

多くのメディアやメルマガは面白い方に、話題になる方に、劇的な方に偏っていった。偏ったほうを吾輩も好んだ。ただ株の学校ドットコムのメルマガだけは違った。

株の学校ドットコム 落ち着け阿呆共

株の学校ドットコムにかけられた冷水

持ち株が全力で下落し続け放心状態の者。一攫千金を夢見て日々、全力ショートする者。なんだかよくわからんが、激しく上下し、大統領やFRBが緊急会見したり倒産のニュースを聞いてスポーツ観戦のように盛り上がる者。本当にいろいろだった。

そんな吾輩にしっかりと冷水をかけてくれたのが株の学校ドットコムのメルマガだった。「落ち着け阿呆共」と言われた気がした。もしかしたら本当に書いてあったかもしれない。とにかくこんな時はポジションをなくすか小さくしろ。そんなことだったと思う。一攫千金を狙い、ボラティリティを最大限に楽しむ丘サーファーな吾輩にはスルーしてもおかしくない話だった。ただ、当然だがこの時、吾輩は負けっぱなしの真っ只中だった。

株の学校ドットコム 人間はそんなに素直じゃない

株の学校ドットコムからの蜘蛛の糸を焼き払う

人は変わらない。それは間違いない。自分で変わろうとしない限り。
ましてや一通のメールでなんて。

吾輩もその一人だ。せっかくの金言が台無しだった。しかもリーマンショックの真っ只中ではあったが、その中で比較的穏やかな相場での出来事だ。この未曾有のショックでロング(買い)向かうアホはいない。では一攫千金をかけたショート(売り)しかなかった。さらに数千万円貯金があるわけではない吾輩はなけなしの貯金を全力信用取引での日経225を(タイミングを)バラすことなく、一気にベットした。今日、今、売らなくてはという衝動にかられていた。そして数日ニマニマして過ごしたと、ちょっとした反発で見事にすべてを失った。

素人の失敗を全部詰めこんだようなトレードという大義名分のギャンブルだった。もちろんこの期間、仕事なんてしているわけがない。

株の学校ドットコム 反省なき失敗

株の学校ドットコムからの提言の意味を知る

相場で大きな損失を受けるとどうなるか?知ってるか?文字通り「まっしろ」になる。そう、まっしろに。

いや、まっしろだったらそこからキレイな絵の具を塗っていけば良さそうだから違うか。使い古された表現であれだが、灰になる。この方がしっくりくる。

灰になって、頭の中はまっしろになる。すっからかんだ。

そしてここが最も重要なポイントだ。よく聞いてくれ。

何も残らない。虚無。「む」 なんもない

どうだい?すごいだろう。多分、経験者しかわからないだろうから伝えよう。つまりこうだ。何か買ったとか、経験したってことならそれが残る。経験だって体験としてのこる。

相場の場合、この体験が全く意味がない。正確に言えば、なんとなく雰囲気でやっていた素人投資(ギャンブル)には再現性がないから100%意味がなく、反省点もない。やっちまったね。以上だ。

よって、そこから学ぶことはひとつもなく、なくなった金と大量の時間、仕事をほっぽっておいた分の労働など負うものばかりが積み上がる。


結果、何も考えられずぼーっと無になる。廃人ってこういう感じかなと思う。ただ、これが数千万円や数億といった損失で借金を抱え自己破産になるというレベルではないから救われた。

比較的早い段階で「まじめに働くしかないか」という労働への投資に目が行くのだ。

勘違いしないでほしいのだが、基本的には投資金額以上に損はしないように仕組みとしてできている。オプションやハイレバレッジでの暴落など本当に特殊ケースの場合のみだ。だから素人はその金融商品の内容とそれは誰にとって必要なものなのか?がわからない間は手を出さないほうがいいってことだ。吾輩もまさにそうだった。

株の学校ドットコム 労働への投資

株の学校ドットコムを忘れる

人は「無」になるとどうなるのか?

結論は意外にシンプルだ。生きるために働くんだ。猫にはなれない。

吾輩は猫ではないのだ。

ここで給料日がくれば毎月しっかり、必ずプラスになるリターンがあるこの素晴らしい投資に感謝する。安定収入最高である。

少し話はズレるが、専業トレーダーがもっとも欲しい物は「安定収入」であると聞いたことがある。

そりゃそうだろうと軽く流していたが、今ならよくわかる。
安定収入以上に大切なものなんてないだろう。

だからトレーダーは儲かった一部を不動産にまわすのかもしれない。

そうこうしてTHE一般市民の吾輩は労働という最も安定したマイナスにならない投資に帰っていったわけだ。

株の学校ドットコム 底値の欲望

株の学校ドットコムからの便り

労働への投資を実践中の吾輩にもこの経験で残ったことがある。

それは「金融用語」に対する「抗体」ができたということだ。

かつて拒否反応を示していた難解な用語がすっと入ってくる。なんなら金融用語のほうがわかりやすい。そんな体になってしまった吾輩がまた少しづつ投資の世界に引き戻されていく。

それが「底値の欲望」だ。読んで字の如く、ここが底値で上昇した(元の位置に戻ったら)儲かるなと皮算用しまくるわけだ。

企業のファンダメンタルズ、つまり業績なんて回復していないリーマンショック真っ只中。でも底値で拾いたい。そんなことを思っていたジャパニーズリーマン達は全員、しっかり損失を抱えて倒れていったはずだ。

あんなにからっぽになって無になったのに、まだやるか?これがもしかしてギャンブル依存症みたいなものなのか?

そんなことを日々、悶々としながら満員電車にのる日々で株の学校ドットコムのメルマガはこう言うのだ。

再現性のないトレードなんてやめちまえ(クソくらえだったか?)

ちょっとよく意味がわからなかったが、そういうことだ。

底値で拾う(つまり買う)なんて、できないんだ。そう、知らないと思うが底値で買うことはできない。もう一回言うよ、底値で買うことはできないんだよ。

はい、たまたま買えたあなた。2回目は大やけど確定ですね。ありがとうございました。ではどこで買えばいいの?そんな気づきが得られた底値探しの旅はここからはじまる。

株の学校ドットコム 仕事としてのトレード

株の学校ドットコムからの刺客

「ハッ」とさせられた一言だった。

ついつい「お金に働いてもらう」とか「資産運用」とか「不労所得」なんて言ったりするので見えなくなりがちになるが、これは仕事なんだ。

給与をもらえるかわからないが、自由に自分で決められるサラリーマンにとっては夢のような仕事。それがトレードなんだ。

そんなこと、全く気が付かなかった。

なぜかわからないが、「仕事だ」と言われるとスッと腑に落ちた。

仕事人間なんだと思うが、仕事だったらちゃんとやろう

面倒でもチャートもみよう
なぜ買ったのか。
なぜ売ったのか。
上司に説明するのが当然だ。

仕事じゃなかったら「はい、雰囲気で買いました」以上、終了だ。

そう、株式投資は仕事なんだ。

吾輩はバリバリの新入社員なんだ。スーツだって全然似合ってない。

初めて「投資の勉強」をしなければならないと仕事として思った。

仕事をしよう

株の学校ドットコム 新入社員がやるべきこと

株の学校ドットコムからのお便りを読み返す

ジャパニーズサラリーマンの吾輩は、2度目の新入社員になった。

そう、株式市場株式会社のピカピカの1年生だ。

ピカピカというよりはボロボロのほうがあっている。

そんな新人が最初にやること、それは名刺交換のやり方ではない。



ここで吾輩が賢明だった?のが、株の学校ドットコムからのお便りを最初から読み返していったのだ。

恐らく普通は本とか買ったりすると思う。

でも吾輩はそのある程度の道を紛いなりにも通ってきたのだ。

ボロボロの1年生は留年してるんだ。

もちろんGmailのフォルダは投資関連のメルマガだらけでパンパンだった。もう届きすぎてフィルタが100を超すほどだ。

そこで面白いことが起こった。

読んだはずの株の学校ドットコムからのお便りは全く違うように見えた。

それは嘘みたいだが魔法のようだった。ちょっとクサイか。

一言ひとことに深いメッセージが込められていた。

あれは初回ではわからないと思う。

映画で言えばインセプションかメメントみたいなものだ。

株の学校ドットコム 伝説の一言

株の学校ドットコム 渾身の一撃

想定はしていた。ただ読み返して衝撃を受けた。

「株はやらなくていい」そんなメッセージだった。

そんなことあるのか?株やらせたいんとちゃうんか?

そんな気分だった。

吾輩は「株式投資」をしてよいという資格がなかった。

雰囲気で、ファッションで、なんとなく副業で、そんな甘いアルバイトはいらないという強くて優しい便りだった。

涙はでなかったが、ぬくもりがあるベタテキストだった。

株の学校ドットコムは本当にベタベタなテキストだ。なんのデザインもない。色もない。

逆にそれが紳士淑女には響くのかもしれない。

株の学校ドットコム 復活の狼煙

株の学校ドットコム ここにいてもいいんだ

大変長らくおまたせ致しました。
やっとあげられる。そう、復活の狼煙を。

ひとつこのタイミングで決めたことがある。

「仕事として投資をすること」

投資は仕事。本業。

だから予習もするし復習もする。

反省もするし、記録もする。めんどくさがらない。

なぜなら「仕事だから」

Because it's work

ここから働き方改革も真っ青な仕事がスタートする。

株の学校ドットコム なんのために稼ぐのか?

だってお金がたくさんあった方がいいじゃない

100人いたら全員そう言うと思う。思っていた。

ただ、それでは稼げない。そして仮に一瞬まぐれで稼げたとしても

その先に幸せはない。そう言われた。

つまり、稼ぐ「目的」が必要だというわけだ。

ただ、目的と目標の違いがわかるか?ということも聞かれる。

禅問答だ。

一緒だろ。と思ったあなた。吾輩と一緒だ。

その答えはメルマガにある。

株の学校ドットコム 見えてきた光

自分と向き合うことが最も辛い

ただ、楽して儲けたかった。株とかFXで。

でもそんなことは許されなかった。

「なぜ?」を問われる。

そうこうしていると、なんとなく光のような、出口のようなものが
見えてきた。

一つの結論として、全員答えが違うということがわかった。

あたりまえだが、我々は他人だ。そして生きる環境や給料、家庭環境などすべてが異なる。

そんな人間が同じことをやって同じように儲けられるなんてあるはずがない。

ただ、それを一生懸命求めてきた。求めて続けている人のほうが多いかもしれない。

それは違うんだ。

違っていい、それがわかった時 ぼんやりと光りが見えた気がした。

2021年の幕開け

みんな生きているのか?

上がっている。相場は上がり続けている。

ただ、こういった場面が最も難しい。

買って持っておけばいい。そんなことを言うやつは全く株のことを知らない未経験者だ。

まずは、生きていかなければならない。

コロナ禍・オリンピックでの相場

誰もが全く読めない中での相場である

ただ、いつも視界良好な相場なんてないものだ。

いつでも見えそうで全く逆の動きをするのが相場である。

株の学校ドットコムからは


「ワクチン接種がスタートして、相場はどう変わるか」

「コロナが収束した後の相場が来る前にやっておくべきことはなにか」

このあたりが送られてきている。実に興味深い内容だ。

暴落へ備えよ

いよいよ暴落への備えだ

米国株はあっという間に3万5千ドル。
3万ドルいくといっていたアナリストに対して
「また盛大にポジショントークしてるわ」とたかをくくてっていた吾輩はアホである。

高値を買っていけ。

それは知っている。知っているが、それが出来る猫がどれだけいるのだろうか?

3万円突破でもそう思った。気がつけば3万5千ドルだ。もう。


心を冷静に保つためには暴落へ備えるしかない。
暴落を願っても暴落しない。暴落に備えるのだ。
いつだって乗れるよう、波待ちするサーファーのよう。


日経平均4万円へ

暴落かと思えば、暴騰である。

米国株はもちろん、一気にかけあがっている。
調整らしい調整もなく。そしてさらに上がり続けるのだろう。

株の学校ドットコムももちろん上昇に備える構えだ。

政権も変わる。

いつもの流れであれば上昇だ。ただ、これを乗りこなすのが大変なことは素人にはわからない。

ドル円150円 1万円で66ドルの世界へ

2022年10月が終わろうとしている

結局、ドル円は介入虚しく150円へ
さらに進んで戻ってくるのだろうか

米国債の金利も上昇が止まらない
株価だけ眺めていればいい そんな楽な世界は過去のものに。

ここからの判断が、大事になる。